Les Sang et Or

Jリーグ名古屋グランパスサポの日記です。

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宿沢が逝ってしまった

2006年6月17日午後,元ラグビー日本代表監督宿沢広朗,55歳の若さで急逝。
山歩きの途中,心筋梗塞で倒れたという・・・
日本ラグビーフットボール協会公式

僕が生まれて初めてジャパンという存在を認識したときの監督が宿沢だった。
そう,ご多分にもれず,あの伝説の試合,89年秩父宮でのスコットランド戦の偉大なる勝利の日だ。

平尾がキャプテン,林がいて,大八木がいて,梶原,ラトゥ,堀越,朽木,そして吉田義人・・・。ほんとうに何というメンバーだったろう!
この綺羅星のような面々を率いたのが,住友銀行の為替ディーラーからいきなりジャパンの監督に就任した宿沢だった。

監督経験全くなし。ある意味ジーコよりひどいが,しかしディーラーとしても凄腕で知られたこの男はいきなり大仕事をやってのける。
宿沢ジャパンの初戦となった冒頭のスコットランドとのテストマッチに,28-24の大勝利。
歴史上初めて,IRB(国際ラグビーボード)の正メンバー8か国からの勝利を挙げてみせた。
事前の徹底した情報収集と綿密な戦略で知られた宿沢には(ああ,ここがジーコと・・),秩父宮の裏にある伊藤忠に頼み込んで部屋を一室借り,そこからスコットランドの練習をスパイしていたという有名な逸話がある。

そして91年の第2回W杯のジンバブエ戦。
いまだにジャパン唯一であるW杯での勝利を挙げ,宿沢はあっさりと監督職を勇退。

屈辱のオールブラックス戦145失点は,このわずかに4年後の第3回大会である。
日本ラグビーの栄光の日々は,宿沢とともに来て,宿沢とともに去ってしまったかのようだった。
あのスコットランド戦のキャプテン,誰もが期待をよせた男も残念ながら結果を残すことはできなかった。

あの日からもう17年か。
エリサルドジャパンが苦闘を続けているなか,
伝説の男は,実にあっさりとこの世からも去っていってしまった。まだまだ彼がやるべきことは山ほどあったのに。


今はただ,冥福を祈るのみ。
合掌。
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  1. 2006/06/19(月) 19:28:15|
  2. スポーツ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
<<W杯前に松田直樹がこんなことを語っていた | ホーム | 民主主義は「普遍」であるだろうか>>

コメント

「テストマッチ」をしっかり読まれていますね…

スコットランド戦はTBS系列で中継してくれたお陰で画面を通じて快挙を確認しました。

逸話の伊藤忠ビルからスコットランドの練習風景を覗いたのは本当の駆け引きというか、マリーシアというか…
駆け引きも英国勤務時代に磨きをかけ、その資質を前任者の日比野弘氏も見抜いていきなりジャパンの監督に抜擢したのかもしれません…

ラグビーを観ないサッカーヲタに「テストマッチ」を読ませたらジーコとの違いにアゴを外しそうですがね!

謹んで御冥福をお祈りします。
  1. 2006/06/21(水) 19:41:42 |
  2. URL |
  3. クロゴマ #wtcrA5jo
  4. [ 編集]

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